【6話】お母さんの度々の入院。預けられていた日々。/高堀郁恵人生ヒストリー
こんにちは(*^-^*)
上質な南国テイスト専門ショップ&デコスクール
~今ある日常に「好き」をプラスし、て自分の人生を楽しみ尽くす人を増やす~
Treasure island高堀郁恵です(*^-^*)
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>>【5話】自分軸がなくて、周りに影響されて後悔したクラブ活動。/高堀郁恵人生ヒストリー
さて、
人生ヒストリーも6話となりました(*^_^*)
いかがでしょうか??
私を知るツールとして、
楽しんでいただけてますでしょうかね?
今日はですね、
私の大好きな亡き母に関する
ヒストリーをかいていこうと思います♡
私のお母さんは、
生涯で3回、
ガンを患いしました。
23歳 乳がん
60歳 乳がん
71歳 肺がん
いづれも転移ではなく、新規。
この間にも、
沢山の病気を。
手術室に送り出す風景を
鮮明に覚えてます。
特に、23歳~60歳までの間には
最初の手術でリンパを広くとった為
手のむくみに悩まされ。
血管拡張手術→失敗
腕の腫れ抑えるために、
麻布十番に腕のサポーターを作りに行ったり。
60歳でガンになった時は、
友人の紹介でアガリクス農園を
海外でしている方を紹介してもらい、
海外から質の良いアガリクスを取り寄せたり。
と、ずーーーーっと通院と
病院以外の、予防のための場所へ通ったり
器具を買ったり としていました。
私が生まれたのは、
お母さんが36歳の時。
なので、産まれたときは
最初のガンのことは知らなかったし
後から、傷をみて
壮絶な戦いだったことを痛感したんです。
私が小学生のころ、
手術の後遺症で浮腫んだ腕の処置のため
しばらく東京の病院へ入院。
その間、
私は、家に一人でいたり
近所の家に預けられたり。
当時、大学生だった兄は
学校が終わると、
私を迎えに近所の家に急いで帰ってきてくれました。
すごく覚えているのが
兄が、インスタント納豆味噌汁
を作ってくれて。
作るって言っても、お湯そそぐだけだけどw
それが、とにかく美味しくておいしくて
いまだに忘れられない光景
なんかね、
「わ~~おいしい♡あったかい♡」
といった覚えがあるんですよ(*^_^*)
心身ともに、染み渡ったんだろうな~
私が中学生の時、大学生の時も
また入院。
その頃は私も大きくなってたから
家に一人でいて。
私が幼少期に預けられていた
ご近所の家は、3人兄弟。
お姉ちゃん二人、お兄ちゃん一人。
毎週金曜日はカレー。
毎年、誕生会をして。
いつも家族でワイワイしているのが
すーーーっごく羨ましかったんだ
だから、預けられている間は
4人目の兄弟になれた気がして
なんだか嬉しかった(*^_^*)
あ~賑やかっていいな~
って感じたのを覚えてる。
こうして、
お母さんがいない期間が多かったし
兄とは10歳はなれているから
兄も家にいることは少なくて。
寂しさを我慢することが
すっごく多くて。
皆で食卓を囲む、暖かい家族
皆で誕生日会をする、暖かい家族
に、すっっっっごく憧れていたんです。
だから、
19歳で初めてアメリカへホームステイに行き
ドラマのような、
すーーーっごくあったかいアメリカンファミリーと出会い。
毎日、ファミリー全員で夕ご飯を食べ
私の事も、家族として扱ってくれて
「ここだ!」と思ったんだ。
後から気づいたんだけど
私が求めていたファミリー像だったからこそ
その後も、
ずーーーっとkeep contactしているんだ
と♡
「家族の暖かさ」 「家族でワイワイ」
を一番に大切にしたかったけど
出来なかった私は、
ずーーーっと「寂しさ」を抱えたまま
大人になったのです。
その寂しさをかき消すために
外で、「友人」「仲間」を、沢山作り
いつもワイワイ楽しむ♪
という事をしていたのも
つい最近きづきました。
でもね、
本当は、
私は「家族の暖かさ」を求めていたから
瞬間、瞬間では、外での人との時間は
最高に楽しいんだけど。
時がたつと、
「やっぱり寂しい」
になっていたんです。
私が、デコスクールをしているのも
根底にあるのは
「大好きな人と、家族のような温かい場所を作りたい。
暖かな関係を作りたい。
ほっとする、関係・場所を作りたい」
そんな思いがあるからなんですよね(*^_^*)
これも、最近、心から分かったこと。
ちょっと長くなるので
続きは7話で♡
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